実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

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初公開年月 2008年3月15日
鑑賞メディア;CS

監督:若松孝二 2点
脚本:若松孝二掛川正幸、大友麻子 2点
撮影:辻智彦、戸田義久 3点
美術:伊藤ゲン 2点
音楽:ジム・オルーク 4点
照明:大久保礼司 3点
録音:久保田幸雄 1点
ナレーション:原田芳雄 2点
出演:坂井真紀 2点、 ARATA 3点、並木愛枝 4点、地曵豪 3点、伴杏里 2点、佐野史郎 2点

 問題作である。若松監督は、連合赤軍事件を考えてくれ、というメッセージを投げかけている。そこで、私もこの「革命」とやらに付き合って思想的に考えてあげよう。
 もう一つは、映画としてしっかり成立しているか、と言う点について考察してみよう。

 まず、思想問題。当時の日本の社会情勢がファシズム思想統制が行われ、ひどい貧困と暴力がはびこっているなら革命も必要になってくるだろう。私は既にその頃小学生から中学生になっていたが、それとは180度異なる十代を過ごしていた。決して裕福ではなかったが、意見を述べる自由もロックのレコードを買う自由もジョージ・オーウェルの「アニマル・ファーム」を読む自由もあった。
 では、ベトナム戦争に反対しているからか?意味不明である。ベトコンは米軍に勝つのである。
 大学の学費が上がったり学問の自由が侵されたりしたからか?それこそ合法的闘争の方法がいくらでもあった。

 医学部や国公立大のエリートたちが似合わない暴力革命などを夢見るから失敗するのだ。彼らは、親の金で大学に行かせてもらい勉強させてもらっているのに、何が不満だったのだろう。彼らが具体的にどのような搾取や差別を受けたのだろう。彼らに本当の貧困や差別や暴力の意味が分かっているとは思えない。

 私はもう当時の彼らの倍以上の年齢になっているから、他の方法もあることが分かるのではない。当時から共産主義は間違った思想だと感じていた。

 共産主義者たちは、一様に権力闘争をしスターリニズムに陥る。中国の文化大革命しかり、カンボジアポル・ポトしかり、北朝鮮しかり。例外を教えて欲しいくらいだ。
 つまり、自分が本当に虐げられた者でない、単なる理想主義者は一番観念的で過激に走るのである。映画の中でも森恒夫は常にテンション高く観念的な言葉を連ねる。具体的な戦略が何も無いからである。だから、彼は今そこにある危機が分からない。思想的には破綻しているのでどうでもいいのだが、映画を見ていて、かつて警察との直接対峙が怖くて敵前逃亡した汚名をはらすように部下に八つ当たりしているのが非常に不愉快であった。

 結局、本当の警察との戦闘をする前に捕まった永田洋子は、獄中で未だに自分自身を「総括」できずにいる。パクられただけで「総括」するんじゃないの?つまり「総括」ってオウム真理教の「ポア」と同じね。
 やくざのリンチの方が分かりやすい。女か金でしょ。彼らは自分自身が完全な共産主義者ーつまり親子の紐帯も私有財産も階級も何も無い革命戦士ーになることを理由に些細なことで嫌いな奴に因縁をつけて殺しまくった。
 平等社会には指導者やボスも無いことになるので組織の上下関係そのものが矛盾だ。

 終盤、最年少の加藤元久に「勇気が無かった」と叫ばせるが、彼らに無かったのは勇気ではなく知性である。彼らこそ恵まれた環境で真面目に努力して医者や教師や官僚になり地道に国家の根幹の改革を目指すべきだったのだ。
 狂気のカルト集団の内輪もめを見せられた思いだ。

 次に映画そのものについて。低予算であることが幸いして、当時の大学内の荒れた殺風景な雰囲気は良く出ているし、最後のあさま山荘の内部もリアルに出ていると感じた。
 また、前半の60年安保闘争学生運動市民運動の盛り上がりは、当時のドキュメントフィルムを多用し編集の力もあってテンポがいい。

 しかし、セクト間の争いや分派活動のシーンになると、TVの再現ビデオと同じ手抜きをしている。例えば高いビルから脱出するシーンでは、スタントをうまく使えないのだろうが、尻から落ちているのに額を怪我していたりする。せっかく映画らしい動くシーンになるとスローモーションやオーバーラップを使い誤魔化してしまう。
 録音の同期がうまくいっていないのか、アフレコをしているところがあるようで、口と声が分離していたりする。また、役者が下手な関西弁のイントネーションで話すのも気になる。
 原田芳雄のナレーションは力が入りすぎているのか、声が錆びてしまってうるさい。もう少し落ち着いた渋い喋りができたはずだ。「竜馬暗殺」などの面白い革命映画に多く出ている彼は、感情移入してしまったか。

 中盤は貧乏臭い山中でのリンチ殺人が延々続く。表現法は多くのスラッシャームービーに比較してそれほどグロテスクではない。ただ、山の季節の移り変わりや日本アルプス浅間山などはたいへん美しく撮影されていて、彼らの所業との対比は良かった。
 ここでの永田役、並木愛枝はうまい。実際の永田は知らないが、本当にこんな感じだろうと思わせるリアリティがある。

 終盤、赤軍あさま山荘に立てこもる前に「さつき山荘」へ逃げ込んでいる。それが全く描かれていないのは何故なのだろう。また、雪の中を機動隊と追いかけっこしているシーンは演出が下手。スピード感もその苦しさも余り伝わってこない。

 あさま山荘に移ってからは、アクション映画のノリが出てきて面白い。アングルも俯瞰にしたりローアングルにしたり逆光を使ったりして、膠着状態ながら緊張感を持って進む。最後、山荘を破壊するところで、アップを多用しているのは、迫力を出すためと言うより山荘の全景が撮れないからだろう。

 前半の報道フィルムを使用したドキュメントタッチとかっこいいジム・オルークの音楽を最後まで続けた方が、観客の想像力を高め、事件の持つ意味と迫力を伝えられたように思う。したがって、映画としては2点。しかし、一つの映画としてではなく、社会的課題として考えさせると言う若松監督の目論みは成功している。だって、私自身こんなに長く書いてしまったもの。